アメリカ史上最高齢で大統領に就任したジョー・バイデン。
彼の政治キャリアは山本昌も三浦知良も遥かに超える、なんと50年以上にわたる、つまりは超ロングキャリアのベテラン政治家でした。トランプによく何もしないと揶揄されていましたが、そんなことはありません。
その間、彼は数々の法案に関わり多くの実績を作り、そして個人的悲劇も乗り越えながら活躍した大政治家ともいえます。
今回は対話形式でジョー・バイデンの若き日から大統領就任までの長い旅路を紐解いていきましょう。
若き上院議員の誕生と試練
史上最年少の上院議員になるまで
先生:1970年代初頭に始まったジョー・バイデンの政治人生を掘り下げてみましょう。
1942年、ペンシルベニア州スクラントンに生まれたバイデンは、若くして政治の世界に足を踏み入れることになります。そして1970年にデラウェア州のニューキャッスル郡議会議員に当選し、本格的な政治活動を開始しました。
学生:近年大統領だったのを考えるととんでもなく前の話ですね。
先生:そう、バイデンの政治家としてのキャリアは50年以上にも及ぶのです。1972年、日本で言えば沖縄返還が行われた頃、わずか29歳でデラウェア州の上院議員選挙に出馬し彼は当選します。
この勝利によって彼は史上最年少で上院議員に選出された一人となったんですよ。
学生:若くして議員、しかも各州二人しかなれないアメリカの上院議員というのはかなりの快挙ですね。当時はどんな選挙戦だったんですか?
先生:実は非常に困難な選挙でした。バイデンは現職の共和党議員J・カレブ・ボッグズに挑戦したのですが、世論調査では大差で負けると予想されていたんです。しかし、彼は「変化」をテーマに掲げ、精力的に選挙区を回って有権者と直接対話する草の根運動を展開しました。
それが功を奏して、わずか3,000票余りという僅差で当選したんですよ。
ちなみにこちら、29歳当時のバイデン氏の姿。
個人的悲劇と政治キャリアの両立
先生:しかし、当選からわずか数週間後に、悲劇が起こります。妻のネイリアと娘のナオミが交通事故で亡くなり、2人の息子ボーとハンターも重傷を負うという出来事があったのです。
学生:痛ましいですね。彼がどうやって仕事を続けていたのか想像もつきません。
先生:バイデンにとって困難な時期であったことは間違いありませんが彼はくじけませんでした。
息子たちの病院のベッドサイドで上院議員に就任する宣誓を行って、そこから長い上院でのキャリアをスタートさせたんですよ。こうして1973年から2009年に副大統領に就任するまで上院議員を務めました。
学生:そんな悲劇の後でもそれだけ政治を続けられたのは、なぜなんでしょう?
先生:バイデン自身が語っているところによると息子たちがその支えになったそうです。「お父さん、大丈夫だよ」という彼らの言葉が、彼を前に進ませました。
また、彼は毎日デラウェア州からワシントンDCまで列車で往復し、息子たちと一緒に過ごす時間を大切にしていました。「アムトラック・ジョー」というニックネームがついたのはこの時期からなんですよ。
上院議員時代の主要な功績
重要法案への貢献
先生:上院では、バイデンは上院司法委員会および上院外交委員会の委員長を務めました。また、「暴力犯罪対策法」や「女性に対する暴力防止法」など、さまざまな重要法案で大きな役割を果たしています。
学生:対立候補に何もしなかったなどと言われますがそうでもないんですね。
先生:全くですよ、私は別にどちらかの擁護派というわけではないですが、さすがにああいった発言はおかしいです。バイデンの名誉のためにもここに列挙しておきましょう。
まず、1994年の「暴力犯罪取締法」。この包括的な法律は、アメリカにおける暴力犯罪を抑制するためのものです。
警察への資金提供、刑務所の建設、犯罪防止プログラムへの資金援助などが含まれていました。また、連邦アサルトウェポン禁止法も含まれており、一部の自動小銃や高容量マガジンの販売を禁止したんです。
学生:なるほど。他にもありますか?
先生:同じく1994年の「女性に対する暴力法(VAWA)」も重要です。
この法律は、女性に対する暴力を防止し、被害者を支援するための資金を提供することを目的としていました。法執行機関や司法制度における女性への支援を強化し、性的暴力や家庭内暴力に対する法的保護を拡充しています。
彼はこの法律の強力な支持者であり、2022年にはVAWAの再承認法案に署名し、移民やLGBTQ+コミュニティ、アメリカ先住民の女性に対する保護を強化しました。
外交と安全保障への影響力
先生:バイデンは「新戦略兵器削減条約(New START Treaty)」にも関わっています。
外交委員会委員長として、この条約の成立に貢献しました。この条約はアメリカとロシア間で核兵器の削減を目指すもので、核兵器管理と軍備管理において重要な役割を果たしました。
学生:重要法案にめちゃくちゃ関わっているのですね。
先生:そういうことです。大統領になっていなくても影響力を持っていたことがわかると思います。彼は「ディールメーカー」として知られ、超党派的な合意形成に長けていました。特に外交政策では、彼の経験と専門知識はオバマ政権下での副大統領時代にも大いに活かされることになります。
Q: バイデンが関わった主要な法案には批判もあった?
A: 1994年の「暴力犯罪取締法」については、後年、批判も出ています。
特に「三振法」(三度目の重罪で無期懲役)や厳罰化の方針が、結果的に有色人種コミュニティに不均衡な影響を与え、大量投獄の一因になったという批判が一部からあります。
バイデン自身についてはというと2019年にこの法案の一部について「大きな過ち」だったと認めているようです。
また、1986年の麻薬政策改革法案では、クラックコカインとパウダーコカインの量刑に大きな差を設けたことが、アフリカ系アメリカ人コミュニティに不公平な影響を与えたという批判もやはり一部からあります。
副大統領から大統領への道
オバマ政権での役割
先生:2008年の選挙でバラク・オバマが大統領に選出されると、バイデンは副大統領として政権の重要な一翼を担うことになります。
学生:その後オバマ大統領のもとで副大統領を務められたわけですね。
先生:ええ。バイデンは副大統領として、オバマ大統領の信頼できるアドバイザーであり、政権の多くのイニシアチブで重要な役割を果たしました。
特にオバマケアとして知られる「アフォーダブル・ケア法」の成立に貢献し、2012年に起きたサンディフック小学校銃乱射事件では、政権の銃規制の取り組みを主導しました。
学生:具体的にどのような貢献をされたんですか?
先生:例えば、「復興・再投資法」の実施を監督し、景気刺激策の無駄や不正を防止する役割を担いました。
また、イラクからの米軍撤退戦略でも中心的な役割を果たし、議会との橋渡し役も担っていました。オバマ大統領は複雑な交渉が必要な場面でしばしばバイデンの経験と人脈を頼りにしていたんですよ。
2020年大統領選と勝利への道
学生:そしてもちろん、自ら大統領選に出馬しましたね。
先生:そう、2016年に出馬を辞退したバイデンは、2020年の大統領選の民主党候補に立候補することを表明しました。
彼は指名を確保しカリフォルニア州の上院議員であるカマラ・ハリスをランニングメイトに選びました。現職の大統領であるドナルド・トランプ氏との選挙に勝利し、バイデン氏は第46代アメリカ合衆国大統領に、ハリス氏は初の女性副大統領となりました。
学生:何が彼の勝利につながったと思いますか?
先生:多くの要因がありますが、彼の「魂の戦い」というメッセージが多くの有権者に響いたことが大きいでしょう。
また、COVIDへの対応への批判や、安定と正常性への渇望も追い風になりました。バイデンの長年の政治経験と「普通の人々」への共感が、特に激戦州の中間層有権者に訴求したと言われています。
大統領としてのバイデンの政策と挑戦
就任初日の行動と優先事項
先生:バイデンが大統領として最初にとった行動のひとつは、就任初日に一連の大統領令に署名することでした。これらの命令は、前任者のドナルド・トランプが制定したいくつかの物議を醸す政策を撤回することを目的としていました。
学生:初日から声明を出したかったようですね。
先生:まったくその通りです。彼は政権の新しい方向性を示したかったのでしょう。
具体的には「イスラム教徒渡航禁止令」の終了、世界保健機関への再加入、パンデミックによる立ち退きや差し押さえの全国的な制限の延長、トランスジェンダーの兵役禁止令の廃止などが含まれていました。
学生:かなり大きな政策転換ですね。
先生:はい、そうです。バイデン政権が重視するもう一つの分野は、経済的不平等でした。
これに対処するため、バイデンはCOVID-19救済策の一環として、連邦最低賃金の大幅な引き上げを提案しました。国のインフラにも投資し数百万人の雇用を創出することを目的とした「アメリカン・ジョブズ・プラン」を提案したのも彼なんです。
アメリカン・ジョブズ・プランとファミリーズ・プラン
先生:2021年3月に発表された「アメリカン・ジョブズ・プラン」は、2兆3,000億ドル規模の包括的なインフラ・雇用対策であり、数百万人の雇用を創出し、アメリカのインフラを再建し、アメリカが中国に打ち勝てるようにすることを目的としていました。
学生:具体的にどんな分野に投資するんですか?
先生:交通インフラ(道路、橋、公共交通機関など)、公共事業インフラ(水道システム、電力網、高速ブロードバンド)、手頃な価格の住宅建設、国内製造業への投資、そしてクリーンエネルギー分野の育成などが含まれています。
また、「アメリカン・ファミリーズ・プラン」では社会インフラと家族支援に焦点を当て、2年間のコミュニティカレッジ無償化や3〜4歳児対象の就学前教育の普及、
チャイルドケア支援、有給休暇制度の創設などが含まれていました。
学生:財源はどうするんですか?法人税?
先生:鋭いですね!そのとおり、法人税率の引き上げや企業が利用する抜け穴の閉鎖、また高所得者への増税など、税制の変更を通じてこれらの投資費用を賄うことを提案しています。
バイデンの人間性と政治哲学
個人的な逸話とあまり知られていない一面
学生:なるほど。バイデンのあまり知られていない事実についてはどうでしょう?
先生:そうですね、いくつかありますね。例えばバイデンは、幼少期から苦しんできた吃音を克服しました。彼はよくスピーチの中で、レジリエンス(回復力)の重要性を強調するためにそのことに触れています。
また、彼はアイスクリームが大好きで、それがちょっとしたジョークになっています。実際、インターネット上には、彼がアイスクリームを食べている写真があふれていますよ!特にチョコレートチップ味が彼のお気に入りだとか。
学生:他に好きな食べ物はありますか?
先生:故郷であるペンシルベニア州スクラントンのサンドイッチ店「Capriotti’s Sandwich Shop」のターキーサブが特にお気に入りだそうです。また、パスタやピザも好んで食べるとか。
趣味では、車好きとしても知られていて、特に1967年製のヴィンテージのコルベットを所有しています。
フットボールのファンでもあり、フィラデルフィア・イーグルスを応援している姿がよく目撃されていますね。リラックスするときは自転車に乗ることも好きなようです。
政治哲学とイデオロギーの変遷
先生:では、バイデンの政治哲学やイデオロギーについて掘り下げてみましょう。
ジョー・バイデンはよく穏健派民主党と言われますが、彼はキャリアを通じて穏健派と進歩派の両方の思想を混在させてきました。彼の思想の特徴は、超党派性を重視することと、アメリカの制度の力を信じることです。
学生:つまり彼はプラグマティストなんですね。
先生:その通りです。統治や立法に対するアプローチにおいて、彼は現実主義者です。
しかし、社会的な問題に対処するために政府が介入することも信じており、より進歩的な価値観にも近い面があります。その一例が、連邦政府によるアメリカの未来への大きな投資を意味する、野心的なインフラ計画といえるでしょう。
学生:社会問題に対するスタンスはどうでしょうか。
先生:バイデンは、時代とともにその立場を進化させてきました。
例えば、1996年には、結婚を男女間のものと定義する「結婚防衛法」に賛成しました。しかし、その後、彼はLGBTQ+の権利を強く支持するようになり、2012年にはオバマ大統領に先駆けて同性婚を公的に支持するようになったんです。
学生:それはかなりの変化ですね。
先生:そうですね、社会的な見解の変化とバイデン自身の政治家としての進化の両方を反映しています
。中絶などの社会問題については、ローマカトリック教徒であるバイデンは、個人的には中絶に反対ですが、女性の選択する権利を信じており、ロー対ウェイドを支持しているんですよ。
あまり知られていない事実として、バイデンは、ジョン・F・ケネディに次いで、米国史上2人目のカトリック大統領です。
彼の信仰は人生の重要な部分を占めており、しばしば彼の政治的レトリックに影響を与えています。
最後に
バイデンの50年以上にわたる政治キャリアはアメリカ史上でも特筆すべき長さと、まさに多様性を持っているといえるかもしれません。
個人的な悲劇を乗り越え時代と共に進化しながらも、常に「普通のアメリカ人」の観点から政治を見てきたのが特徴ともいえるでしょう。
彼の実用主義的なアプローチと超党派的な協力の姿勢は、分断が深まる現代アメリカにおいて確かに重要な役割を果たしてきたと言えるのではないでしょうか。
彼の政治的遺産が最終的にどう評価されるかは今後の歴史が教えてくれるというところでしょうが、彼が半世紀以上にわたって公職に献身してきたことは確かです。
ペンシルベニア州スクラントンの労働者階級の家庭からホワイトハウスまでの彼の旅は、一つのアメリカンドリームの体現ともいえるものかもしれません。





