英国の司法制度は世界の法律システムに多大な影響を与えてきました。特に特徴的なのは弁護士が「バリスター」と「ソリシター」に分かれている二元制度です。
この記事ではイギリスの司法制度の成り立ちから裁判所の階層構造、そして弁護士の二元制度について解説できたらと思います。
イギリス司法制度の独自性と歴史的背景
コモン・ローの発展と特徴
イギリスの司法制度はコモン・ローと呼ばれる法体系に基づいており、立法と判例法の融合によって形成されています。
コモン・ローの最大の特徴は過去の裁判例(先例)を重視する点にあります。「先例拘束性の原則」(stare decisis)に基づき、以前の裁判で確立された法的原則が将来の同様の事件にも適用されるため法解釈の一貫性が保たれるのです。
このシステムは12世紀にヘンリー2世の時代から発展し始めました。もともとイングランド各地で異なっていた慣習法を統一するため、国王が「巡回判事」を全国に派遣したことが始まりです。彼らは各地の判断を持ち帰り、共通のルールを形成していきました。
この歴史的背景が現在の司法制度の基盤となりイギリス連邦諸国(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インド等)やアメリカ合衆国などにも大きな影響を与えています。
法の柔軟性を保ちながらも予測可能性を提供する点がコモン・ローの最大の強みといえるでしょう。
議会主権と立法プロセス
イギリスの法制度において「議会主権」(Parliamentary Sovereignty)は極めて重要な原則です。この原則により英国議会は法を制定、改正、廃止する最高の権限を持ち、裁判所も含め他のどの機関もその権限に優越することはできません。
法律(Acts of Parliament)は庶民院(下院)と貴族院(上院)での審議を経て、最終的に国王の裁可(Royal Assent)によって成立します。実質的には下院が主導権を持っており、上院は修正提案や見直しの役割を果たしています。
興味深いのはイギリスには成文憲法が存在しないことです。
代わりにマグナ・カルタ(1215年)や権利章典(1689年)などの歴史的文書、議会制定法、判例法、憲法的慣習の組み合わせが「不文憲法」として機能しています。このユニークな体制は「柔軟性」と「進化能力」という特性をイギリスの法制度に与えているのです。
イギリスの裁判所システムはどのように構成されているか?
最高裁判所から地方裁判所までの階層構造
イギリスの裁判所は明確な階層構造を持っており、それぞれが特定の役割を担っています。この構造を頂点から順に見ていきましょう。
最上位に位置するのが最高裁判所(Supreme Court)です。2009年に設立されたこの裁判所は以前は貴族院司法委員会が担っていた役割を引き継ぎました。
UK全体の民事事件とイングランド・ウェールズ・北アイルランドの刑事事件における最終上訴審として機能します。12名の最高裁判事(Justice of the Supreme Court)によって構成され、通常は5名で審理を行います。
その下に位置するのが控訴院(Court of Appeal)で、民事部門(Civil Division)と刑事部門(Criminal Division)に分かれています。下級裁判所からの上訴を審理し法的誤りを是正する重要な役割を担っています。控訴院の判断は下級裁判所を拘束する先例となります。
高等法院(High Court)は複雑な民事事件を扱う第一審裁判所であると同時に下級裁判所からの上訴も審理します。
女王座部(King’s Bench Division)、家事部(Family Division)、衡平法部(Chancery Division)の3つの部門に分かれています。2023年からは「King’s Bench Division」となりましたが従来の機能は変わっていません。
クラウン裁判所(Crown Court)は重大な刑事事件を扱う裁判所です。殺人や強盗など、より深刻な犯罪の審理を行い通常は裁判官と陪審によって進められます。治安判事裁判所から送致された事件も扱います。
そして、司法制度の最前線には「治安判事裁判所」(Magistrates’ Court)と「郡裁判所」(County Court)があります。前者は軽微な刑事事件を扱い、後者は一般的な民事紛争を解決します。これらの裁判所は市民が最も頻繁に接する司法機関といえるでしょう。
専門裁判所の役割と機能
イギリスには特定の分野に特化した専門裁判所も存在します。これらは専門知識を要する事案を効率的に処理するために設置されています。
「雇用審判所」(Employment Tribunal)は不当解雇や差別などの労働関連紛争を扱います。より迅速かつ費用効果の高い解決を目指し、通常の裁判所よりも手続きが簡素化されています。
「移民・難民審判所」(Immigration and Asylum Chamber)は移民資格やビザの拒否、難民申請に関する上訴を審理します。移民法の複雑さを考慮しこの分野に特化した判断を下します。
「土地審判所」(Upper Tribunal (Lands Chamber)は不動産価値の評価や土地の強制収用に関する紛争を解決します。不動産開発や都市計画に関連した専門的な問題を取り扱うのが特徴です。
こうした専門裁判所の存在は特定分野の複雑な法的問題に対して効率的かつ専門的な解決を提供するイギリス司法制度の柔軟性を示しています。
バリスターとソリシターの違いは何か?
二元制度の歴史的背景
イギリスの法律専門家が「バリスター」(Barrister)と「ソリシター」(Solicitor)に分かれる二元制度は何世紀にもわたって発展してきた独特のシステムです。
この区別の起源は中世にまで遡ります。13世紀頃、法律の専門家は徐々に裁判所での弁論を専門とする者と依頼者に直接法的助言を提供する者に分化し始めました。バリスターの前身は主に王立裁判所で活動し、ソリシターの前身は地方で活動していたのです。
16世紀までにバリスターはInns of Court(法曹院)という専門的な共同体を形成し、そこで訓練と資格付与が行われるようになりました。現在でもリンカーンズ・イン、インナー・テンプル、ミドル・テンプルとグレイズ・インという四つの法曹院が存在し、バリスターの資格認定と監督を行っています。
一方ソリシターは1825年に設立された「ソリシター協会」(Law Society)によって規制されるようになりました。このような歴史的背景から二つの専門職は異なる訓練、文化、そして役割を持つに至ったのです。
業務範囲と専門性の違い
バリスターとソリシターの最も顕著な違いはそれぞれの業務範囲と専門性にあります。
バリスターは主に法廷弁護士として活動し、法廷での弁論(advocacy)を専門としています。彼らは複雑な法的議論を展開し裁判官や陪審員を説得する技術に長けています。
伝統的にバリスターは依頼者と直接接触せず、ソリシターからの「ブリーフ」(指示書)に基づいて行動します。また特定の法分野(刑事法、商事法、家族法など)に特化していることが多いのです。
対照的にソリシターは依頼者と直接接触し幅広い法的サービスを提供します。
契約書の作成、不動産取引、遺言書の作成、法的助言の提供など日常的な法律業務を担当します。訴訟が必要になった場合、ソリシターは適切なバリスターを選び事件を引き継ぐことがあります。
ちなみにバリスターの法服は今日でも伝統的なウィッグ(かつら)とガウン(法衣)を着用することが多く、法廷での彼らの特別な地位を象徴しています。一方ソリシターは通常のビジネススーツで業務を行います。
資格取得プロセスの比較
バリスターとソリシターになるための道のりはかなり異なっています。
バリスターになるには
- 法学位取得、または他分野の学位取得者は法律大学院コース(GDL)を修了
- バリスター養成課程(BPTC)を修了
- いずれかの法曹院(Inns of Court)に所属
- 「コール・トゥ・ザ・バー」(Call to the Bar)と呼ばれる儀式で正式に資格を取得
- 「パピレッジ」(pupillage)と呼ばれる1年間の実務訓練を修了
ソリシターになるには
- 法学位取得、または他分野の学位取得者は法律大学院コース(GDL)を修了
- 法律実務コース(LPC)を修了
- 2年間の「トレーニング・コントラクト」(見習期間)を法律事務所で完了
- ソリシターズ・レギュレーション・オーソリティ(SRA)に登録
最近では新しい「ソリシター資格試験」(SQE)が導入され、ソリシター資格取得のルートが変更されつつあります。このように両者はまったく異なる訓練を受け、異なる規制機関によって監督されているのです。
現代のイギリス司法制度における変化と課題
二元制度の融合傾向
伝統的に明確だったバリスターとソリシターの役割の境界線は近年徐々に曖昧になりつつあります。1990年の「裁判所・法的サービス法」以降、ソリシターも一定の上級裁判所で弁論権(rights of audience)を取得できるようになりました。この変更により「ソリシター・アドボケイト」という新しいハイブリッド的な役割が生まれています。
また「直接アクセス」(Direct Access)と呼ばれる制度の導入により、特定の事案ではクライアントが直接バリスターにアプローチすることも可能になりました。これによりソリシターを介さないケースも増えており従来の役割分担が変化しています。
さらに「代替ビジネス構造」(Alternative Business Structures)の導入により、非弁護士が法律事務所のオーナーシップを持つことも認められるようになり法的サービス市場に新たなダイナミクスをもたらしています。
こうした変化にもかかわらず多くの法律家は二元制度の価値を認めており、専門性の違いがクライアントに幅広い選択肢を提供していると考えています。完全な融合ではなく相互補完的な関係へと進化していく可能性が高いでしょう。
司法制度へのアクセスと法的援助の課題
現代のイギリス司法制度が直面している重要な課題の一つは「司法へのアクセス」(Access to Justice)の問題です。2010年以降の緊縮財政政策により法的援助(Legal Aid)の予算が大幅に削減されました。
法的援助とは弁護士費用を支払う余裕のない人々に法的サービスを提供するための公的資金システムです。2012年の「法的援助・犯罪者処罰・量刑法」(LASPO)により多くの民事事件(家族法、移民法、福祉給付など)が法的援助の対象外となりました。
この結果、自分で訴訟を行う「自己代理訴訟人」(litigants in person)が増加し裁判所システムに追加の負担をかけています。また法的問題を抱えながらも解決策を見出せない「法的ニーズのギャップ」も拡大しています。
法曹界は「プロボノ」(無償奉仕)活動やコミュニティ法律センターを通じてこのギャップを埋めようと努力していますがシステム全体としての持続可能な解決策が求められています。司法へのアクセスは法の支配の基本原則であり今後もイギリス司法制度が取り組むべき重要課題といえるでしょう。
FAQ:イギリスの司法制度について
イギリスの裁判で陪審員はどのように選ばれますか?
イギリスの陪審員は選挙人名簿から無作為に選ばれます。
18歳から75歳のイギリス、アイルランド、または英連邦市民が対象です。召喚された場合、正当な理由がない限り出席する義務があります。
陪審は通常12名で構成され全員一致または多数決(10対2以上)で評決を下します。陪審制は主にクラウン裁判所の刑事事件で使用されており一般市民の常識を司法システムに反映させる重要な役割を果たしています。
QC(Queen’s Counsel)とは何ですか?
QC(現在はKC:King’s Counsel)は特に優れたバリスターに与えられる名誉称号です。
「シルク」(Silk)とも呼ばれ法廷で絹の法服を着用する権利を象徴しています。KC称号を得るバリスターは通常15年以上の経験を持ち専門性と能力において最高レベルにあると認められた人々です。
選考プロセスは厳格で毎年限られた数のバリスターだけが「シルクを取る」(take silk)と表現される昇格を果たします。KCは通常より複雑で重要な事件を担当し報酬も高くなります。チャールズ3世即位後、QCからKCに名称が変更されました。
イギリスとスコットランドの法制度は同じですか?
これはいいえです。イギリス連合王国内でもスコットランドは独自の法制度を持っています。
スコットランド法はコモン・ローとシビル・ロー(大陸法)の混合体であり特に刑事法や不動産法など多くの分野でイングランド法とは異なります。
スコットランドには独自の裁判所構造があり最高民事裁判所は「コート・オブ・セッション」、最高刑事裁判所は「ハイ・コート・オブ・ジャスティシャリ」と呼ばれます。
法律専門家の称号も異なりバリスターに相当する役割を「アドボケイト」と呼びます。ただし最終上訴審はUK最高裁判所が務めるという共通点もあります。
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