アンゲラ・メルケル政権の概要
エネルギーヴェンデ政策
まず代表的な功績としてエネルギー政策から。
彼女は長期政権でかなり一貫してエネルギー問題に取り組んでいて、化石燃料から再生可能エネルギーへの転換を図る「エネルギーヴェンデ」(エネルギー転換)政策は政権の中心的な政策であったともいえる。
具体的には日本の福島原発事故後の脱原発への取り組みや、石炭産業に大きく依存する地域における脱石炭政策などの取り組みがなされた。
メルケル政権下でドイツは温室効果ガス排出量削減への取り組みを特に主導するようになって、2016年には包括的な気候行動計画に結実した。内容としてはエネルギー部門別の削減目標の重視、e-モビリティの推進、気候変動の影響への個別の適応策などだ。
また再生可能エネルギーの生産、配電、貯蔵をサポートする新技術とインフラに広く投資した。
こうした施策により、風力、太陽光、その他の再生可能エネルギーの導入が急増することとなった。
かつてはヨーロッパの巨大工業国として工業汚染などが問題となっていたドイツであるが、特に彼女の政権後の環境分野でのドイツの貢献はかなり大きいといえるだろう。
外交
外交政策は特にユーロ圏危機とウクライナ紛争をきっかけに、より積極的な役割へと大きく転換した。
EU内でのドイツのリーダーシップはよく知られているが、メルケルは中国やアフリカ諸国など、欧州以外の国との外交関係を深めるための努力も主導した。
他に有名なところでは移民・亡命への取り組みも有名だ。特に2015年から16年にかけての欧州難民危機の際のアプローチは同政権の特徴であった。
彼女の「Wir schaffen das」(私たちはできる)というフレーズはよく知られている。難民をドイツ社会や労働市場に統合するために一連の広範な措置を行った。
労働政策
まず労働政策から。
最低賃金を導入し、労働者の所得格差と貧困の是正を目指した。より柔軟な労働時間や育児休暇政策の改善など、ワークライフバランスを奨励するための改革も行った。
そして移民については、職業訓練や語学講座を通じて労働市場に統合する取り組みもした。同時にEU加盟国以外からの、高度な能力を持つ熟練労働者に対する移民規制の緩和など、熟練労働者の不足に対処するための政策を行った。低賃金労働者を大企業の利益のため、その場限りで使い倒すような従来の移民政策とは異なる低賃金労働者の圧迫ではなく技術移転のための移民である。
そして大不況への対応時にはメルケル政権は「Kurzarbeit」(短時間労働)政策を実施した。(クルツは短い、アルバイトは仕事という意味だ) これにより企業が従業員を解雇する代わりに労働時間を短縮できるようにして一定の成功を収めたと見られている。
またこの政策は、2020年のあれ、の大流行時にも効果的に使われたが、ドイツ国外ではあまり知られていないメルケル政権の成功事例だ。
他にも長期失業者の復職を促すことを目的とした「ハーツ改革」など、柔軟で労働意欲を高める方向の労働政策を行った。
概して言うならば、メルケル政権下の労働政策は、経済成長の維持、社会的結束の確保、人口動態の課題への対処を目的としていた。
これらの政策はドイツの失業率を比較的低く抑え、長期政権で遭遇した幾つかのかなり大きめの経済危機を乗り切るのに役立った。しかし、労働市場の柔軟性、賃金水準、そして以前からではあるが、引き続き移民の労働力への統合をめぐる議論も同時に巻き起こしたといえるだろう。
産業政策
ハイテク戦略
2006年に発表されたハイテク戦略は、ドイツを科学とイノベーションの世界的リーダーにすることを目的としている。この戦略では、イノベーションのための枠組み条件の改善と、将来の経済成長と社会の発展に不可欠とみなされるいくつかの主要技術の研究開発(R&D)への投資に重点が置かれた。
これらの技術には、情報通信技術(ICT)、バイオテクノロジー、エネルギー、環境技術が含まれた。
この戦略は、学際的研究、デジタル化、持続可能な開発に重点を置き、新たな課題や機会に適応するために、その後も更新された。
インダストリー4.0
そして製造業の関係者であれば恐らく聞いたことはない人はいないであろうドイツ発の施策「インダストリー4.0」。
これもメルケル政権下での出来事であった。ドイツは産業部門を完全にデジタル化する戦略であるこのインダストリー4.0の発案者であり先駆者となった。
またそのコンセプトは世界的に有名だが、他にも、イノベーション、デジタルインフラ、サイバーセキュリティの強化を目指す「ハイテク戦略2020」や「デジタル・アジェンダ2014-2017」なども打ち出して産業発展を促進させた。
デジタル・アジェンダ
2014年に導入されたデジタル・アジェンダは、デジタルトランスフォーメーションを受け入れるというドイツの広範な戦略の一環であった。
デジタル・インフラの強化、デジタル・リテラシーと教育の促進、デジタル研究とイノベーションの支援、データ・セキュリティと保護の確保を目的としている。
このアジェンダはドイツ全土、特に地方におけるブロードバンドアクセスを改善し、ドイツの競争力を高め、公共サービスを向上させるデジタル経済・社会を育成することを目的としていた。2020年以降の世界的なあれ、の時期において、先に行われていたこのアジェンダは特に効果を示したといえる。
ナチスの過去への反省
メルケル首相の統治下ではナチスドイツの過去を認識し、それに取り組むための協調的な取り組みが継続的に行われていた。
依然としてアフリカ植民地やヨーロッパ周辺国については特に進展はないが、特に人類史上でも最大の犯罪であるホロコーストについては、訪問だけとはいえ出来る限りの取り組みをしたといえる。
多くの被害者たちから金銭的な補償こそ不十分と言われるものの、メルケル首相はドイツ首相として、ついに初めてダッハウ強制収容所で演説を行い、アウシュビッツ・ビルケナウ解放70周年記念式典にも出席をした。
教育政策
首相自身が科学者であったこともあり、メルケル首相は教育と研究が国家の将来にとって極めて重要であることを理解している。
トップレベルの研究を促進し、ドイツの大学の質を向上させるための「エクセレンス・イニシアチブ」を主導し、そうした施策と同時に、職業訓練と生涯学習を促進するための数多くのイニシアチブを行っている。
現実主義的なアプローチで広く知られるメルケル首相はスキャンダルのない政権を率いたことも特徴だ。
一貫して財政黒字を維持し新たな債務を負わない「シュヴァルツェ・ヌル」すなわち「ブラック・ゼロ」政策を堅持した。この財政規律とともに「社会的市場経済」の原則に重点を置き、経済競争と社会保障や公正さのバランスをとっていた。
メルケル政権の特徴は着実で予測可能なリーダーシップ・スタイルであり、首相のプラグマティズムと政策決定への漸進的なアプローチが、しばしば彼女の成功の重要な要素として挙げられる。
政権末期には、例のあれ、の大流行という予期せぬ危機が発生した。彼女の科学主導の冷静かつ慎重なアプローチは、世界的に高い評価を得た。
内容としては中小企業や自営業者を支援するための大規模な財政支援策、公共部門における迅速なデジタル変革策、2020年のあれ、対策の決定を導くためのドイツ倫理評議会の設立などが挙げられる。
差別是正
女性初のドイツ首相ということが影響しているかはわからないが、メルケル政権は一貫して女性の権利を推進し名目上だけでなく実際に男女平等の社会の実現に近づけたといえるだろう。
企業役員への女性登用枠の導入や、父親の休暇取得を奨励する育児休暇政策などの政策を実施したのだ。
アファーマティブアクション的な側面もあり批判もあるが、少なくとも政治的に実際に効果のあった施策であるのは間違いない。
票を取るため、人気をとるためだけに、男女平等社会、女性の権利を守る、などとマニフェストに散々書きながら、実は当選した後は何もしない詐欺師のような政治家や、役員以上は9割男などとしているインチキの企業管理職も世界のいくつかの地域には多い中で、そうした偽物の選挙屋達とは違った本物の政治家の実効性のあった政治成果だったといえるだろう。
メルケル政権の移民政策
先にも労働政策のところで少し触れたが、メルケル首相の移民政策といえば主にシリア、イラク、アフガニスタンでの紛争から逃れてきた多数の難民・移民にドイツの国境を開放するという2015年の決定が記憶に新しい。
この決定は、人道的な懸念と、戦争や迫害から逃れてきた人々の庇護と保護を受ける権利の原則に基づくものだった。
2015年の危機のピーク時にはドイツは100万人以上の亡命希望者を登録した。正に当時のメルケル首相のモットー “Wir schaffen das”(「私たちは対処できる」)は、難民をドイツ社会に統合するという楽観的なアプローチを象徴していたといえるだろう。
この政策には、語学講座や労働市場へのアクセスなど、統合のための施策が盛り込まれていたが、世論や政治的反発、治安や文化的統合への懸念、多数の新到者を支援するための物流の複雑さなど、大きな課題にも直面した。
こうした多くの議論や、メディアを幾度か騒がせた移民による重大犯罪などのトラブルによって、極右勢力とも長く言われてきたドイツのための選択肢、AfD、のような政党が、最早極端とはいえないような得票割合をドイツの選挙やヨーロッパ議会の選挙で取るようになってきた。
こうした2024年現在での事象は、良いか悪いかは別として明らかにこうした移民政策に起因するものと言えるだろう。
大学エクセレンス・イニシアティブ
2005年に発足しメルケル首相の下で継続された「大学エクセレンス・イニシアチブ」は、ドイツのトップレベルの研究を促進し、高等教育の国際的な知名度と競争力を向上させること、そして世界一流の学者や学生をドイツに呼び込むことを目的としていた。
同イニシアチブは、研究と教育において卓越性を示すことができる大学に多額の資金を提供することで、「エリート大学」の創設を目指すものであった。
このプログラムは何も政策を打たないと競争がなかなか起きない教育産業という分野において、大学院、卓越性クラスター、トップレベルの大学研究を促進するための組織戦略などの提案を通じ、大学が追加資金を獲得するために競争することを奨励するものだった。大学と官僚との癒着もほとんどないドイツにおいてはかなりうまくこの政策は働いたとみられている。
ブラック・ゼロ政策(シュヴァルツェ・ヌル)
最後にあまり目立たないが重要なブラック・ゼロ政策について。これは新たな純債務を回避し、均衡財政を維持するというドイツの公約のことである。
この政策はメルケル政権、特にヴォルフガング・ショイブレ財務相の在任中に特徴的なものとなった。財政規律へのコミットメントは、連邦政府の構造赤字をGDPの0.35%に制限する「債務ブレーキ」ルールをドイツ憲法に組み込んだことで強調された。
新たな債務を負うことよりも歳出削減と慎重な財政管理を優先することで、財政の安定と持続可能性を確保することを目的としていた。
この政策はドイツの強固な経済的地位と信用格付けを維持したことで評価されたが、特にインフラ、教育、デジタル化に対する公共投資の妥当性に関する批判にも直面した。
ブラック・ゼロ政策をめぐる議論は2020の例のあれ、の状況下で激化し、経済と公衆衛生を支えるために財政制約を一時停止する必要性を主張する者もいたが、基本的に経済学の観点からは債務の少ない国は成長速度が鈍化しないので長期でいえば成功した、または現在のドイツの頑健な経済的成功にもこの政策が結びついているといえるだろう。





